◆ 始まりは習い事から
母につれられて日本舞踊を習い始めたのが3歳のときでした。今にして思えば、耳慣れない楽曲に合わせてお手本通りにただ踊らされていたような気がします。小学校、中学校と師範のもとへ通いながらも当時はさほど熱心さはなかったように思えます。そして青春真っ只中の自分にとって、古典的な世界がとても窮屈な感じがして徐々に日常生活から遠ざかっていきました。時は流れ学校卒業後、銀行に就職をして平凡な生活を送っていたある日のこと、市内での日本舞踊の発表会に誘われ、舞台で繰り広がれる舞踊の世界がこんなに素晴らしいものかと感動を新たにし、それまで眠っていた舞踊への思いが一気に燃え上がったのでした。
◆ 夢に向かって歩む
 |
趣味としての習い事で終わっていたはずのものが、一旦火がついた情熱は次第に単なる趣味の世界では満足できず、周囲の反対を押し切って勤めを辞めてまでもこの世界に身を投じようと決意したのです。それからというもの大きな「夢」に向かって日々精進を続け、5年目の春に名取を拝名し藤間流の末席に加えさせていただき、さらに心身と技能を磨き3年後には目標とした「師範」の試験に合格した時には嬉しくて涙が止まりませんでした。とりあえずこの世界で自分の技能が認められ、また一歩夢に近づいていくことへの励みとなりました。 |
◆ 日本舞踊の歴史から
| 日本舞踊は、大衆の中から生まれた芸能です。舞踊の起源には諸説が色々ありますが、いちばん有力なのが「出雲の阿国(おくに)」による念仏踊りです(今から約400年前)。その評判の阿国を中心に作られたのが「阿国かぶき」といわれるもので、いわゆる民族舞踊に端を発した「踊」でした。これがいわば歌舞伎と日舞の始まりとされています。もともと「踊」中心であったものに「舞」の要素も加えられ、さらに琉球(沖縄)から伝わった蛇皮線が変化して三味線が生み出され、主要な伴奏音楽が発達し始めます。そして舞踊中心だったものが、次第にストーリー性を持ち芝居の色が濃くなります。 |
 |
 |
歌舞伎の演目の中には、舞踊だけで演じられる「所作事」というものも数多く残っています。こうした歌舞伎の振り付けをしていた役者や今で言う演出家達が、独自に弟子を取り舞踊を教え始めたのが日本舞踊と歌舞伎の道の最初の枝分かれでした。歌舞伎の世界は現在でも男性だけで、特別な事が無い限り女性はその舞台に立つ事はできません。日本舞踊と歌舞伎が枝分かれした事により、多くの女性が日本舞踊の伝承に関わる事ができるようになりました。そして、現在ではたくさんの流派が生まれ、それぞれが独自の特色を生かした舞踊の継承と発展に力を注いでいます。(掲載の写真をクリックすると拡大画面で見れます) |
◆ 夢をかなえる
 |
平成11年は、私の舞踊人生に新たな歴史を刻む年となりました。
情熱をもって教え育てた愛弟子も30名を超え、そして日々精進を積み重ねてきた技能を自分の演出でお客様に見ていただきたいという長年の「夢」をかなえる時がきたのです。1年以上もの準備期間は、各方面での打ち合わせに忙殺される日々でした。京都での衣装合わせには何度も足を運び、舞台作りと演出スタッフの方々との打ち合わせは稽古以上に心労の重なる思いでした。そうした準備も多くの方々の心温かいご支援をいただき、無事公演の幕を閉じたときには、満足感と虚脱感が入り交じった感慨深い思い出の一日となりました。 |
◆ 地域社会と共に
この度、「津山情緒」という民謡と踊りを復活させようと保存会が発足されました。津山市制施行の昭和4年に作られた地元の伝統芸能を今改めて地域の皆様方に知っていただき、またご一緒に唄い踊って親しまれるような地域文化の継承にと微力ながら活動に参加させていただいています。今こうしてある自分の姿も舞踊を通じて出会った方々との交流とご支援があってこそと感謝にたえません。自分を育ててくれた地域に少しでも貢献したいという思いで活動を展開いたしております。どうか多くの市民の皆様にご参加いただけますよう心からお願い申し上げます。
|